大学生の人生を変えるブログ

何もない人が0から成功するために学んでいこうと思います

【雑談ネタ】じゃがいも爆発事件

こんにちは、けいとです。

 

今日は、雑談で僕が毎回使っている、ウケ率高めの鉄板雑談ネタを話していこうと思います。

 

コミュ障の僕ですが、一つでも鉄板ネタがあるとめっちゃ会話がしやすくなります。

 

今回は口語に挑戦して書いてみようと思うので読みづらいかもしれませんが、ご了承ください。

 

会話の流れ的には、一人暮らしとか料理の話題からつないでいます。

 

 

 

僕:「最近自炊はじめたんだよね〜。」

友人:「ほえ〜、やるじゃん」

 

僕:「いや〜、全然失敗ばかりで、、、」

友人:「そうなの?」

 

僕:「この前もレンジでじゃがバター作ろうと思ったら爆発して、、、」

友人:「まじか笑笑」

 

僕:「うん。いきなり爆発音が聞こえて急いでレンジ開けたらすごい煙出てきて」

 

  「部屋中煙まみれ。もう全部窓とか開けて、火災報知器なるんじゃないかと思ってめちゃめちゃビクビクしてたんだけど」

  「まあなんとか鳴らずに、無事だったんだけど」

 

友人「(笑)」

 

僕:「で、レンジの中見たら、まっ黒焦げの炭みたいな、すっかすかの炭化した物体があって」

  「じゃがいもってこんなんなるんだ〜って」

 

友人:「(笑)、ちなみになんで爆発したの?」

 

僕:「それが、そのじゃがいも芽がでちゃってて、いつもは皮付きのまんま温めてたんだけど、そのときは皮を剥いてから温めたんだよね。」

 

  「そしたら、爆発した。」

 

友人:「え、皮向いただけで爆発するんだ」

 

僕「そうそう、びっくりした。」

 

友人:「へぇ〜怖いな、気をつけないとな〜」

 

僕:「で、まあ二日後くらいかな。」

  「普通に午前中にごろごろしてたら急に外から「ジリジリジリジリ!!!」ってでっかい音が聞こえて」

 

友人:「え!うん。」

 

僕:「「火事です、火事です!逃げてください、火事です、火事です!逃げてください」って聞こえて」

 

友人:「え、やばいじゃん」

 

僕:「そう。で、急っそいで外逃げたんだけど、もうそのマンションの人がめっちゃ外に集まってて。」

  「もう、すんごい騒ぎみたいになってんのよ」

 

  「で、その騒ぎを見ながら思い出したのが」

 

 

  「二日前のじゃがいも。あれが二日間の時を経て検知されたんじゃないかって。」

 

友人「そんなことある?笑笑」

 

僕:「(笑)、まあ結局他の人の火事だったんだけどね。」

 

友人:「いやすごい偶然」

 

僕:「そうなんだよ。だからその時はめちゃくちゃビビり散らかしてた。これもしかして、俺なんかやっちゃいました???って」

友人:「笑笑」

 

 

 

っていう会話ネタでした。

じゃがいもの爆発と火事が絡み合って、単体でも話せるネタがよりおもしろくなった話ですね。

 

いや〜本当に偶然でした。軽めの火事だったのでけが人はいなかったのが幸いです。なので今笑い話にできてるんですけどね笑

 

 

ここまで読んでくださってありがとうございました!

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助けられる人の特徴3選

こんにちは、けいとです。

 

前回書いた記事で、友達に宿題の答えを見せてあげるかというトピックを扱いました。

 

そこで、答えを見せてあげたい友達と見せたくない友達が出てきました。

 

何が二人を分けたのか考えてみようと思います。

 

なぜなら、それがわかれば、周りの人から助けられる人になれるのではないかと思うからです。

 

まずは二人の友達について簡単に書きます。

 

答えを見せても良いA君の場合

A君と僕は、大学のテニス部で初めて会いました。

 

当時はテニス部に入った1年生が、僕とA君だけしかいないので過ごした時間は長い方だと思います。

 

話していても気が合うし、今一番仲がいい友達だと思ってます。

 

彼は、僕があってきた人の中で一番おおらかな人です。

 

お金にもこだわらないし、バイトの給料入ったしおごるよということもあるくらい。

 

その余裕とgiveの精神はすごく尊敬してます。

 

 

答えを見せたくないB君の場合 

B君とは大学でグループを組む授業の時に出会いました。

 

会った時の最初の印象としては、グループワークでもリーダーシップをとってて、すごい活動的な人だな~という印象。

 

でも、陽キャというよりは落ち着いた感じで、陰キャの僕からしても親しみやすい男です。

 

そのあとB君と話していくなかで、結構パーソナルなことを話したり、彼が終電逃したときのお泊りとか、多くの時間を過ごしました。

 

性格は互いに合理的なほうで、学歴のない大学に入ってしまった以上は普通より頑張らないと、という上昇志向。

 

なので、お互いに高め合っていこうぜっていう友達です。

 

二人の違いについて

僕は二人ともとても仲がいい友達だと思っていますが、A君とB君の違いはどこにあるのでしょうか。

 

理由はいくつかあると考えています。

 

1、自分のgiveに対するtakeの量

2、頼み方

3、話していて楽しいかどうか

 

1、自分のgiveに対するtakeの量

まず、B君に何かあげてもお返しが少ないという点です。

 

善意の施しにお返しを期待するのは筋違いだというのは知っているのですが、やっぱり損得は頭の片隅で考えてしまうんですよね。

 

僕も気を付けないといけない所だと思っているのですが、「もらえるもんはタダだしもらっとくか」という考え。

 

これは、やっぱり人間関係を悪くします。

 

いくら善意の施しとはいえ、もらうだけじゃなくてしっかりお返ししないとだめだなと気が付きました。

   

もちろん友情も大事にしていますが、友情とは利害関係の上で成り立っていると考えています。

 

どんなに一緒にいて楽しくても、自分ばっかり負担をしてまで友人関係を続けるものではないなと思うんですよね。

 

もしかしたら、僕が気づいていないだけで何かをしてもらっているのかもしれませんが、僕自身が気付けていないので、結果的にgiveが増えているように感じているのかもしれません。

 

2,頼み方と感謝

宿題を見せてもらうとか、何か頼み事をするというのは相手のリソースをもらっていることと一緒です。

 

なので、最低限の礼儀として頼み方や感謝の気持はしっかり伝えたほうが良いと思いました。

 

3、話していて楽しいかどうか

Bくんとの会話はどこかビジネスチックになってしまっていることに気が付きました。

 

僕の場合、能力についての話やキャリアについての話はどうしてもマウントにつながってしまうんです。

 

なので、お互いに高め合いたいと思っていても結果的にマウントの取り合いになってしまいます。

 

高め合いたいという場合にはもっと別のアプローチがあるんだろうなと思います。

 

そして友人関係を深めたいならマウントはしないほうが良いということに最近気がついたので、違うコミュニケーションのやり方を模索していこうと思います。

 

まとめ

助けられる人の特徴をまとめると、

  1. giveをすること
  2. 感謝の気持ちを伝えること
  3. 話していて楽しいこと

以上の三点です。

 

僕もこのポイントを意識して頑張っていこうと思います。

 

ここまで読んでくださってありがとうございました!

ただの一般人が「ファンです」って言われた話

こんにちは、けいとです。

 

今日は僕の人生観を大きく変えた出来事について書いていこうと思います。

 

この出来事から僕が学んだことは、「普段自分がとっている何気ない行動でも、相手の人生を変えてしまうかもしれない」ということです。

 

それに気がついたときから、自分の立ち振舞いを客観視して、それが相手にどんな影響を与えているか、ということを考えるようになりました。

 

 

僕の人生観を変えた出来事があったのは、僕が中学3年生のときの夏頃です。

 

中3の夏といえば受験勉強の大事な時期で、僕も朝から晩まで塾に通っていました。

 

行きたかった高校がE判定で今のままでは到底届かない、そんな思いから限界まで塾を入れていました。

 

しかし、そんな本格的に勉強をしたのは僕にとって初めてで、長時間の頭脳労働は僕のメンタルをガリガリと削っていきました。

 

塾といえば「友達と楽しくやるから乗り切れる」みたいなイメージを持っている人もいるかもしれません。

 

しかし、僕は塾に友達が一人もいませんでした。

 

休み時間になって周りがワイワイ楽しそうに話しているなか、僕は一人机に突っ伏して脳の回復に努め、休み時間がすぎるのを待っていました。

 

「まあ人と話すよりは一人でいたほうが楽だし良いや」と思うと同時に、自分の居場所がないという圧迫感を常に感じていました。

 

僕の通っていた塾は、個別指導塾で他の人の話し声が聞こえるんですよね。

なので、喋ったことがなくても他の人がどんな人なのか大体わかります。

 

でも僕は自分を表現することが苦手だったので、僕がどんな人ひとなのか、多くの人はわかっていなかったと思います。

 

まあ暗い子だなという印象くらいだと思います。

人前で自分を表現できる周りの人は、とてもうらやましいなと思ったのを今でも覚えています。

 

そんな環境の中で勉強を繰り返していくうちに、僕の精神力は底をつきはじめ、だんだんと自分の感情がなくなっていきました。

 

ただただ勉強をするマシーンへとなっていき、会話することすらおぼつかなくなるくらいに。

 

 

塾ではいろいろな個性的な人がいました。

 

その中でもひときわ目立っていたのが、イケメンで話が面白くて、明るくて、それでいて落ち着いていて、年上の先生にも物怖じせず話しかけている人でした。

 

僕は、「あんなふうにコミュ力が高かったら人生楽しそうだな〜」と思いながらその人を見ていました。

 

その人が持っているパーソナルは、僕の理想にピッタリだったんですよね。

なので、もちろん話したことはないですが、陰ながらにとても尊敬していました。

 

個別指導なので、その人と近くの席で、同じ先生に教えられるときが度々ありました。

 

それで、その人が先生と話していて、言うんですよね。

 

「ペン回しできる人かっこいいですよね〜」とか

「本を読むときに持ちながら読むのかっこいいですよね〜」とか。

 

その行動は僕がちょうどやっていたことで、

「え、これもしかして俺のこと言ってる?、いやいやそんなわけないか、でもちょうどやってるなんてことある?」と思ったのを覚えています。

 

状況的に見て、僕のことを言っているのは確かだと思っていました。

 

でもあんなにかっこいい人が、僕のことを見てくれて、そしてどこが琴線に触れたのか、それがどう考えてもわかりませんでした。

 

僕は客観的に見ても、先生ともうまくしゃべれないし、友達いないし、休み時間つっぷしてるし。

 

僕は自信が持てていなかったし、それだけ証拠が揃っていても、彼が僕のことを言ってるとは、とても信じられませんでした。

 

 

ある時、その日の最後の授業が終わって、

僕は「疲れた〜」と放心状態になっていました。

 

本当に何も考えられずにどこかふわふわとした心持ちでした。

 

そこに、彼が来ました。

そして言いました。

 

 

「あの、いつも応援してます。ファンです。がんばってください」と。

 

 

突然のことだったので、僕はフリーズしてしまいました。

 

その人と話したことはなかったし、「初対面の相手にこんなすごい表現できる人いるのか。やっぱりこの人はすごいな」とか

 

「あ、本当に僕のことを言ってくれていたんだ」とか

 

いや、「もしかして夢を見てるんじゃないかとか」

 

もちろんこんな言葉を言ってもらえることなんか今まで生きてきて一度もなかったので、「どう返せば良いんだ」など色々な考えが頭の中によぎりました。

 

 

だけど、疲れ切った僕の脳みそでは、答えを導き出すことはできませんでした。

 

そして、何秒たったか、僕にとっては永遠の時間でしたがフリーズしていると

 

 

彼が言いました。

 

「無視、ですか、、、」と。

 

 

そしてまもなく彼は立ち去っていきました。

 

 

「いや違うんだ。待ってくれ。」

 

今すぐにでも追いかけてそう言いたかったですが、僕はその日一言も喋っていなかったし、擦り切れた精神は体を動かす司令をうまくだすことができませんでした。

 

そして結局、その人を追いかけることはできませんでした。

 

 

僕が動けるようになったのは、それから数分後でした。

 

ぼんやりとした頭の中で後悔が渦巻くなか疲れた体を引きずって家まで帰ると、ピークに達した疲労に耐えきれず、すぐに眠りに落ちました。

 

 

そして次の日。

 

僕は何事もなく塾に通っていました。

 

本当に恐ろしいことですが、勉強によって擦り切れ、感情がなくなった脳では、あの出来事が重要だと認識できていなかったんです。

 

そしてまた僕は、何事もなかったかのように受験勉強に戻っていきました。

 

 

 

次にその人と会ったのは僕が高校2年生で、変わらず塾に通っていたときです。

 

その人は塾に通っていたのは中学までで、何かの機会に塾に来ていたときだと思います。

 

 

久々に見たその人は、僕の知っている自信に満ち溢れた彼ではなく、どこか自信なさげで、影を帯びている印象をうけました。

 

 

それを見た僕は、突然中学三年生のときの出来事を思い出しました。

「この人はいったいどんな気持ちで僕にあんな言葉をかけてくれていたんだろうか。」

 

僕はとんでもないことをしてしまったことに今更気が付きました。

 

 

そして、彼が今暗くなっているのは、もしかしたら僕の影響があるのかもしれない。

 

そう考えると、「僕の行動が彼の生き方を変えてしまった」かもしれないということに気が付きます。 

 

「自分が普通に生きているだけでも他者とのつながりからは逃れられず、相手の人生を変えてしまうかもしれない」という事実。

 

これに気がついてからは、自分の振る舞いを考え直さないといけないと思うようになりました。

 

また、脳のリソースを限界まで使っていると、人間関係に割くリソースがなくなって取り返しのつかないことになるということにも気が付きました。

 

 

僕はこの件の影響で、浪人時代に塾や予備校に通わないという選択をしました。

 

しかし、逆に言えば、人間関係を捨てれば脳のリソースを限界まで使えるということでもあります。

 

どちらを取るかは場合によるとは思いますが、どちらもいいところ悪いところがあるので使い分けるのが必要なのかもしれないとも思います。

 

ここまで読んでくださってありがとうございました。

論理的に考えてマウントを取るのは意味ない話

こんにちは、けいとです。

 

最近ブログを書いていて、友人関係に対する考えが変わってきたので、共有していけたらと思います。

 

 

かつての僕は友人関係においてマウントを取るのは必要なのかもしれないと思っていました。それは自分の能力をアピールするのに必要だとぼんやりと思っていたからです。

 

しかし最近考えが変わりました。

 

いろいろ考えた結果、「マウントは論理的に考えて取る必要がない」という結論に落ち着きました。

 

その結論に至った経緯を書いていこうと思います。

 

 

まず、そもそもマウントというのは、基本意味がないと思います。

されたら嫌だし、友人関係わるくなるし。

 

じゃあなんで僕はマウントを取っていたのでしょうか。

原因を考えてみます。

 

マウントを取る理由

原因1:資本主義により能力の見える化が必要になってきたから

 

資本主義の発達によって、お金を稼ぐ能力が非常に重要になって来たと思います。

なぜなら、全てはお金を通してやり取りされるからです。

 

昔は物々交換や自給自足などで、それぞれの価値を持って生活できていたと思います。

 

それに比べて今は、お金という単一の尺度で他人を図らなければいけません。

 

そして、お金を稼ぐ能力は目に見えるものではありません。

 

なので、他人にそれをアピールする方法のひとつとして、マウントというものが必要なのではないかと思っていました。

 

原因2:劣等感の埋め合わせ

これが僕がマウントを取ってしまっていた大きな理由だと思います。

劣等感を埋め合わせるためにマウントを取る。

 

思い返してみると、僕がマウントを取り始めたのは高校に入ってからです。

 

高校では優秀な人がたくさんいて、僕が強みだと思っていたものがすべて上回られてしまい、僕は自分に自信が持てなくなってしまいました。

 

そしてそこには、僕と同じように自信を失ってしまった人がたくさんいました。

 

そうして生まれたのがマウントの取り合いです。

自分に価値があると示さないと生きづらい世界でした。

 

一度マウントの取り合いが始まると、劣等感が刺激されてまたマウントを取るという負の連鎖になってしまいます。

 

僕の通っていた高校では、どこか偏差値という絶対的な尺度で人の価値が決まっていたところがありました。

 

なので偏差値の高い人は人権があって、もしくは、コミュ力や何か強みがある人はその枠にとらわれずに過ごせていたと思います。

 

しかし、そういう強みがない人は自信を失っていました。

 

僕らが自尊心を保つには、自分の価値を証明するためにマウントを取ることが必要でした。

 

こうやって僕は、友人関係にマウントは必要だと考えてしまうようになりました。

 

しかし、そうやってマウントの取り合いをしていた友人で、今も仲のいい友人はいません。

 

そして大学に入って、そういった単一の指標ではなく、人にはいろいろな強みがあることを知り、マウントは必要ないという結論に至りました。

 

その考えに至った要因を書いていこうと思います。

 

マウントを取るのが意味ない理由

要因1、マウントを取る人と一緒に働きたいかどうか

僕は社会に出てお金を稼ぐためには、能力のある人と絡む必要があるため多少のマウントは許容して過ごす必要があると思っていました。

 

しかし、本当にそれは必要なことなのか疑問に思いました。

 

世の中には、能力があるし、マウントを取らないすごい人というのはたくさんいます。

そういった人との繋がりが大事になってくると思っています。

 

なぜならそういった人との関係は友人関係として長く続く有益なものになると思うからです。

 

僕が高校時代マウントを取りあった友達とは今ではまったく関わりがありません。

そういう関係は長期に渡っては意味がないことに気が付きました。

 

そしてその関係は、嫌な気分になってまで続けるものではないと今では思っています。

 

なので、僕は決めました。

マウントを取る人とは、たとえどんなに能力があっても関わらないというふうに。

 

社会はそんな甘い考えで生きていけないかもしれませんが、それを実行できる力を持てるように今から頑張ろうと思います。

 

要因2、能力を示す方法はマウントだけではない

これは大学に入ってから気がついたことです。

大学ではいろいろな人がいましたが、みんな個性的で自分の強みを持っています。

 

例えば、大学で出会った友達で、僕が出会った人の中では一番おおらかな友達がいます。

 

バイト代入ったし、おごるよとか。

部活のための道具を家から持ってきてくれたりとか。

とにかくgiveの精神があるんですよね。

 

僕はそれをとても尊敬しています。

お金を稼ぐことや時間が大事という社会の中で、それを惜しみなくgiveできること。

 

それは、学力と違ってお金を稼ぐ能力に直結しないものだと思われるかもしれません。

 

しかし、これは自分の能力を示すのにも使える方法だと思います。

 

例えば、僕はブログをしていて文章を書くのが得意な方だし好きなので、先輩の助けになればと思って、部活のツイッターを運用した事がありました。

 

ツイッターのプロフィールを調整したり、noteで活動報告や広告をしてみたり。

 

そしたら、それを周りの人が認めてくれて「あいつすごいな」みたいな感じになりました。

 

giveの精神は周りの人にも認めてもらえるし、友人関係もよくなります。

 

それは、マウントを取ることよりもよっぽど良いということにやっと気がつけました。

 

以上が僕の最近の気づきでした。

ここまで読んでくださってありがとうございました

意図しないマウント発言に気をつけよう

こんちは、けいとです。

 

昨日バイトがあったんですが、いやー疲れました。

 

緊急事態宣言出てるのに客めっちゃ多い!

来ないでくれ!!!(楽になりたいだけ)

 

 

僕がバイトを始めたのは最近で、4月頃からはじめました。

新しい環境に入ったので、初対面のバイト仲間と話す機会が増えました。

 

そんな初対面の会話が増える中、僕はまた失敗とともに、人間関係における学びを得ました。

 

今回はそれについて書いていこうと思います。

 

 

 

1、論理的に話すと意図せずマウントになってしまう話

同年代の2人が話しかけてきてくれた時の話です。 

「けいとくんはなんでフロアに入ったの?」と質問してくれました。

 

僕はフロア(接客)のバイトをしているのですが、男でフロアに入る人は少ないので気になったんだと思います。

 

そこで僕は、「これから夏だし、キッチンは暑そうだと思って、、、」と答えました。

 

すると「へぇーたしかに、私はそういうふうに考えたことなかったな〜、、、」と返されました。

 

それを聞いて僕は、あ〜〜やっちまった〜と思ったんですよね。

 

キッチンは暑そうだと思ったのは本当なんですが、それはキッチンの悪いところを言ってマウントをとっていることになるんですよね。

 

 

ここでするべきだった返答は

「自分見ての通り表情筋が死んでてちょっとコミュ力上げないとまずいなと思って挑戦してみました!」です!!!

 

これなら100点。

 

ユーモアを交えつつ、自分の弱みとそれを克服したいというポジティブなところを表現する。今の自分のコミュ力の集大成です。

 

まあ、わかってはいても実行するのは本当に難しいんすよね。

 

次回からがんばろう。

 

また、こういうふうに論理で話したときに無意識にマウントをとってしまうときというのはあると思います。

 

そして、他人にされるときもあります。

 

なのでここではもう一歩踏み込んで、他人にされたときの対処法も考えてみました。

 

それは、「その論理の排反を挙げること」です。 

たとえばさっきの例だったら、「キッチンのいいところ、フロアの悪いところ」ですね。

 

フロアの悪いところを上げるとマウント返しになってしまうので、キッチンのいいところを上げると良いと思います。(キッチンは冷房効いてて楽よ〜など)

 

ただ、これは頭の回転が必要となります。しかし、こういうふうに事前にシミュレーションしておくことでうまく返せると思います。

 

2、マウント返しは意味ない

営業終わりに、同じ大学に通ってる人と話した時の話です。

 

その人は同じ大学の同じ学部のひとだったんですよね。

見た目も陽キャというよりは陰キャで勝手に親しみを覚えていました。

 

なので、サブカル好きそうだし(偏見)、趣味も近そうだしこれは仲良くなれそうやなと思ってました。

 

まず僕は「休日何やってます?」と聞きました。

自分的には結構これ最強の質問だと思ってます。

 

相手の趣味を聞きつつ共通点を探れるし、共通点がなくても相手の趣味の話を深堀りしていけばいいといった感じで。

 

僕の趣味であるゲームとかのサブカルチャー系が来たら一気に距離を縮められるのでそれを期待しつつ、どんな話が来ても対応できるように気を張り巡らせていました。

 

 

彼の返答は、、、

 

「勉強とかやってるかな〜」でした。

 

 

 

 

えええ〜〜っ、「べ、べ、べ、勉強〜〜〜!?」

 

 

 

線形代数とか微分積分とかやってるかな〜」

 

 

まじで?休みの日に、勉強?

 

偏差値がお世辞に高いとは言えないこの大学で休日に勉強をするという意外性。

 

そして大学は卒業するだけなら最低限の成績を取っていれば良いので、空いた時間で他のことを学ぶというのが僕の考えだったので、びっくりしました。

 

しかし、大学院に行くには成績が重要なので、あ、大学院進学を目指してるんかなと思って、

「大学院行くんですか?」と聞くと、

「まあそこは考えてないけど研究職に就きたい」と返ってきました。

 研究職に付きたいから勉強頑張ってるのね。

 

また、彼は「来月にTOEICもうけるつもりなんだ〜」とも言いました。

 

おお、きたきた!共通点だ!

僕もTOEICの勉強してるし、ここだ!

 

「僕もTOEICの勉強してるんですよ!800点目指してがんばってます!」

 

「へえ〜800点って結構高いんじゃないの〜」

 

「そうなんですけど、ちょっと頑張ろうと思って、、、参考書とかって何使ってます?」

 

「参考書とかはあんまつかってないかな、文法とか覚えるの苦手で〜」

 

そこから僕はこの参考書おすすめですよ!とか喋ってたのですが、あまり食いつきが良くなく、結局そのまま帰る時間になって、手応えが得られることなく会話が終わってしまいました。

 

 

今になってこの話を振り返るとめちゃくちゃ反省点があります。

 

まずひとつ目が、この人は純粋に勉強が好きだったということです。

それも数学系とかが好きで、英語はそこまでなのかもと思いました。

 

それを僕は無意識に、「勉強頑張ってるというマウント」を取られたと勘違いして、「英語で800点取りたい」というマウント返しをしてしまったんですよね。

 

からしたら数学が好きなだけで、好きな話をしていたら、いきなり英語でマウントを取られたように見えてしまったかもしれません。

 

マウントを取られたと思うと取り返さなきゃとなってしまう僕の悪い癖です。反省してます。

 

(数学を好きでやってる人には初めてあったので間違えてしまったのはあると思います、ないとは思うけど本当に勉強やってるマウントの可能性もあるかもしれません)

 

まとめ

この話をする前に、そもそもマウントをとることの是非を考えなければいけませんでした。

 

僕はマウントを取るのは必要なのかもしれないと思っていましたが、最近では考えが変わって、マウントは取らないほうが良いというふうに思っています。

 

次の記事で書こうと思います。

 

あと、自己紹介のときは、

・ポジティブ発言

・ユーモア入れる

・自分はどんな人間か

・今後どうなりたいか

を入れるのがいいと想いました。

 

 

みなさんもよかったら自己紹介のテンプレ考えてみてください。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

「大人のやり方を覚えなよ」と副校長は言った。

僕が高校中退したきっかけの一つの話です。

 


 

今日は、僕が体育教師にいじめられて学校にいけなくなった件について学校側との話し合いがある日だ。

 

僕はこれから始まる面談に不安を感じているのと同時に、わずかな期待も持っていた。

 

学校側が僕の意見を聞きいれてくれて、状況がいい方向に向かうのではないかと思っていたからだ。

 

学校につくと、おそらく60代と思われる、白髪に生え際が後退した物腰の柔らかそうな副校長と50代前半と思われるがどこか若々しい印象をもつ教頭が待っていた。

 

「本日はお越しいただきありがとうございます」と彼らは言い、僕と母を応接間に案内した。

 

「改めまして本日はお越しいただきありがとうございます。今回の件につきましてお話させていただけたらと思います。」と教頭が言った。

 

さすがは長年教職の地位についているだけある。余裕があるし、よどみがない。一般人のペーペーである僕と母でこの人達と会話ができるのか、僕は少し不安になってきた。

 

教頭はプリントを持ち出して言った。

「このプリントを読ませていただきました。まずは、けいと君。この文章、すごく良かったです。」

 

そのプリント、とは僕が学校にいけなくなった経緯と僕の想いを書いたものを母が学校側へと届けてくれたものだ。

 

うつになって高校に行けなくなったときに学校に送り付けた文章 - 大学生の人生を変えるブログ

 

自分が書いたものを、こんな地位の高いひとに褒められるのは、なんだか自分の能力が認められた気がしてとても嬉しい。

 

 

続けて副校長が言った。

 

「そして、ここに書いてある、君が〇〇先生を見ると動悸がするというところは本当ですか・・・?」

 

 

副校長はメガネをずらして、こちらを見定めるような目つきで見てきた。

 

その瞬間僕は理解した。

この人は僕の味方なわけではない、と。

 

 

もちろん、事実確認が重要だということはわかる。

 

だがどう考えても、傷心中の学生の助けの声を一番に疑うことが正しいとは思えなかった。

たとえその文が嘘だったとしてもそれを確認するすべはないし、嘘じゃなかったらただ生徒を疑うという結果だけが残る。

 

そして実際に、僕はその体育教師が視界に入るだけで腹痛になるほど苦しんでいた。

 

 

長年教職についていて、その地位も高い人がこんな簡単なことをわからないはずもない。

 

釘を、刺しに来たのか?

 

 

この人は本当は僕の言っていることをそこまで信用していない。

もしかすると、僕が嘘を書いてその体育教師を貶めようとしているかもしれない、という線も見ているんだなと感じた。

 

 

その瞬間、副校長に対しておぼろげに抱いていたイメージが形になって現れる。

 

狐だ。

 

物腰の柔らかそうな感じに隠れているが、この地位まで上り詰めた狡猾さがこの人にはある。

 

 

その後、話は母と先生方の会話がメインで進んだ。

 

母は、県のいじめ対策ガイドラインなどに沿って調査をしてほしいと伝えていた。

しかし、そのガイドラインは学校側には普及していないらしい。

 

結局は教育委員会などに掛け合って解決策を考えるということになった。

 

 

また、彼らは対策案として、その体育教師を僕と合わせないようにするための方法をいろいろ考えてくれていた。違う階段を使うとか、体育の授業を別のひとにしてもらうとか。

 

 

話の中で、教頭先生は僕の心境にもしきりに配慮してくれて具体的な解決策を提示してくれていた。

 

意見を出すときも常に僕の心境に寄り添っていてくれて、この人は信じてみてもいいかもしれないと感じた。

 

さすがは若い年で教頭になるだけあるなと思った。

この人に抱いたイメージは犬だ。ダルメシアン

 

仕事はきっちりこなすし、誠実さがある感じ。 

 

 

その後も話が進んだが、しかし、僕には途中から記憶がない。

 

 

話の中で、その体育教師をやめさせることはできないと知ったからだ。

 

その教師はクラスを持っているため、たとえ教育委員会が動いても辞職は難しいらしい。

 

 

彼らは、僕と体育教師をあわせないようにいろいろ考えてくれていたが、同じ学校にいる限りどうしても顔を合わせることになる。

 

 

そのときの僕は、もうその体育教師の顔を見ることすら苦痛だと感じていた。

顔を合わせる可能性が少しでもあるんだったら、耐えられないと。

それは、がんばってどうにかなる問題だとは思えなかった。

 

 

なので僕が学校に通うのは無理だということがわかってしまった。

 

 

その瞬間、どうでもよくなった。

 

僕はこれまで真面目に生きてきたつもりだし、そんなに罰を与えられるような悪いことはしていないはずだ。

 

その教師にはお咎めなしだし、他の生徒は僕がいなくなっても今までと変わらず過ごすだろう。

 

なんで僕ばかりがこんな苦しまなきゃいけないんだろうか。

誰か、教えてくれないかな。

僕に原因があるなら治すからさ。

 

 

帰り際、副校長が僕に向かってこう言った。

「けいとくんもさ、大人のやり方を覚えなよ。今回は勉強になったと思ってまたがんばろう」

 

僕は霧が晴れたような、しかしどこか無理やり作ったような笑顔を浮かべて

「はい」と返事をした。

 

 

大人のやり方?

 

そうか、わかった。「自分の心を押し殺して理不尽に耐えること」が”大人のやり方”なのか。

 

社会に出たら、この心の痛みに耐えて生きていかなきゃいけないのか。

 

そういえばよく聞いてたじゃないか。

 

「社会で生きてくためには、上司からの理不尽に耐えながら、朝から晩まで必死に働く必要がある」って

 

それは学校という、あるいは社会という世界で生きていくためには必要なことで、この人もそれを乗り越えてきたんだな。

 

 

それは、僕が今まで通り学校に通ってもらうための、なにごともなく穏便に済ませるための激励の言葉じゃなくて、

 

きっと心からのアドバイスなんだろう。

 

副校長はそうやってその地位までたどり着いたんだろう。

いろいろなものに耐えて、必死に働いて。

 

そうしてあなたが手に入れたものはなんだろう。

教頭という社会的地位、安定した給料、幸せな孫の顔、それとも安泰な老後?

 

それは素晴らしいものなんだろう。

 

 

でも、たとえそれがなんであれ、僕はそれが欲しいわけじゃない。

 

それのために生きてるわけじゃない。

うつになって高校に行けなくなったときに学校に送り付けた文章

僕が体育教師にいじめられたことが原因でうつになり高校に行けなくなったときに学校に送った文章を公開しようと思います。

 

学校に行けなくて困っている人がいたら参考にしてください。

 


 

まず、私の現状について説明させていただきます。私は、一年生の頃には休み、遅刻は両手で数えるほどもなかったのですが、二年生になって休み、遅刻が劇的に多くなりました。毎朝学校に行こうとすると体調不良、腹痛などに悩まされ、その後一学期前期、後期、二学期前期、後期と、どんどんと休み、遅刻が増えていきました。それは、一年生の後期の終りの体育の時間に○○先生に受けた心の傷が原因です。ちょうど二年生に入るタイミングだったので、最初は友達関係やその他の要因を疑いましたが、それらはうまくいっているのにもかかわらず休みが減らない。そのままどんどんと時間が過ぎ去りますが、原因はわかりませんでした。ですが最近、体育が○○先生の授業に替わって以来体育の授業の日は必ず体調が悪くなり休んでいることに気が付きました。私は、一年生に心の傷を負ってから、○○先生の些細な動作、授業を受けるときも、廊下で会う時でさえ、それに心の傷が刺激され、○○先生に対する恐怖感、嫌悪感が増幅されていき、今ではもう会うことですら動悸、腹痛がするようになっていました。

 原因となった一年生の件について、詳しく書きたいと思います。一年生の後期5時間目の体育の授業のときです。ほかの生徒が早めに集合場所に来て授業の準備をしているところでした。昼休みに同じテニス部の友達とテニスをしていて気づかなかったのですが、私たちが戻った時にはすでに準備が終わっていました。そのことについて○○先生に呼び出され怒られました。そのことについては大変反省し、それ以来二度目はないよう尽力しました。しかし、個人の問題であるにもかかわらず、遅れたことをテニス部全体のせいにされ、昼休みのテニスコート使用禁止が言い渡されました。しかも、禁止にされたのは原因とされる男子テニス部だけでなく、女子硬式テニス部もソフトテニス部もなぜか禁止にされました。何の責任もなく昼休みテニスコート使用禁止にされた女子硬式テニス部、ソフトテニス部への申し訳なさ、先生の理不尽さに対抗できなかった不甲斐なさにこれまでに経験したことがないほどの心苦しさ、無力感、絶望感がこみ上げてきましたが、原因を作った私たちは結局何も言えませんでした。

 また、この件で怒られたあとテニスの授業で、ほかの生徒をほめるときに「きみはすごいね、あの不快な奴らと違って」と発言されました。同じ授業のときにもう一個。今までと違いいきなり、テニス部以外のペアを作ってくださいと言われ、もちろんテニス部の友達と組んでいた私たちは立ち往生してしまいました。そして私たち以外のペアがすべて決まりました。残された私たち二人を見て先生がひとこと「どうなるかなと思って見ていたけど、やっぱり君たちだめだったね」

このようなことが果たして教育の場で行われていいものか、当時の私はその受けた衝撃に、その場で立ち尽くさざるを得ませんでした。このような事例が、あと数件私の身には起こっています。

 これらの行為はほかの先生方の目の届かないところで日常的に起きています。また、その原因は生徒のミスが発端であるため言い返せないということがほとんどです。私以外にも被害を受けている人がたくさんいると思うので今回はこのような形で報告させていただきました。

 最後に、私がこの嘆願書を書いた理由を書きます。私は、3月13日に今日こそは、体育の授業に出ようと思い、学校に来ましたが、やはり腹痛が激しく出られそうにありませんでした。しかし、せっかく学校に来たのだから、○○先生にひとこと断りをいれてから早退しようと、体育館に行ったところ、開口一番、○○先生に「体育の点数はつかないけどいいんだな」と宣告され、この件が自分では解決できないことにようやく気づくことができ、学校側に判断をゆだねようと思い、書きました。

私としてはもうこれ以上○○先生の授業を受けることは無理だと思います。顔を見るだけでも、学校に行くだけでも苦痛で仕方がないです。

○○先生の授業を受けることはできません。ですが、大好きなこの△△高校をどうにか卒業することが希望です。もう自分の力だけではどうにもなりません。どうかこの件について、力を貸してくださるようお願い申し上げます。

 

二年◇組◇番 ✕✕✕✕

 


 

その後の流れとしては、学校側がこの件について面談の機会を設け、そこで僕と先生をなるべく合わせないような方策を考えてくれました。

 

しかし、その教師を辞めさせることができないことがわかりました。

 

僕はその教師に会うことすらきつかったので、結果的に退学することになりました。

 

症状が悪化する前に、文章を送っていれば違ったかもしれません。

皆さんはなるべく早めに学校側に相談した方がいいと思います。

 

いじめ調査アンケートに書いたくらいでは、何も変わりませんでした。

 

学校側も話してくれれば対応してくれるので、なるべく早く相談した方がいいと思います。