「大人のやり方を覚えなよ」と副校長は言った。
僕が高校中退したきっかけの一つの話です。
今日は、僕が体育教師にいじめられて学校にいけなくなった件について学校側との話し合いがある日だ。
僕はこれから始まる面談に不安を感じているのと同時に、わずかな期待も持っていた。
学校側が僕の意見を聞きいれてくれて、状況がいい方向に向かうのではないかと思っていたからだ。
学校につくと、おそらく60代と思われる、白髪に生え際が後退した物腰の柔らかそうな副校長と50代前半と思われるがどこか若々しい印象をもつ教頭が待っていた。
「本日はお越しいただきありがとうございます」と彼らは言い、僕と母を応接間に案内した。
「改めまして本日はお越しいただきありがとうございます。今回の件につきましてお話させていただけたらと思います。」と教頭が言った。
さすがは長年教職の地位についているだけある。余裕があるし、よどみがない。一般人のペーペーである僕と母でこの人達と会話ができるのか、僕は少し不安になってきた。
教頭はプリントを持ち出して言った。
「このプリントを読ませていただきました。まずは、けいと君。この文章、すごく良かったです。」
そのプリント、とは僕が学校にいけなくなった経緯と僕の想いを書いたものを母が学校側へと届けてくれたものだ。
うつになって高校に行けなくなったときに学校に送り付けた文章 - 大学生の人生を変えるブログ
自分が書いたものを、こんな地位の高いひとに褒められるのは、なんだか自分の能力が認められた気がしてとても嬉しい。
続けて副校長が言った。
「そして、ここに書いてある、君が〇〇先生を見ると動悸がするというところは本当ですか・・・?」
副校長はメガネをずらして、こちらを見定めるような目つきで見てきた。
その瞬間僕は理解した。
この人は僕の味方なわけではない、と。
もちろん、事実確認が重要だということはわかる。
だがどう考えても、傷心中の学生の助けの声を一番に疑うことが正しいとは思えなかった。
たとえその文が嘘だったとしてもそれを確認するすべはないし、嘘じゃなかったらただ生徒を疑うという結果だけが残る。
そして実際に、僕はその体育教師が視界に入るだけで腹痛になるほど苦しんでいた。
長年教職についていて、その地位も高い人がこんな簡単なことをわからないはずもない。
釘を、刺しに来たのか?
この人は本当は僕の言っていることをそこまで信用していない。
もしかすると、僕が嘘を書いてその体育教師を貶めようとしているかもしれない、という線も見ているんだなと感じた。
その瞬間、副校長に対しておぼろげに抱いていたイメージが形になって現れる。
狐だ。
物腰の柔らかそうな感じに隠れているが、この地位まで上り詰めた狡猾さがこの人にはある。
その後、話は母と先生方の会話がメインで進んだ。
母は、県のいじめ対策ガイドラインなどに沿って調査をしてほしいと伝えていた。
しかし、そのガイドラインは学校側には普及していないらしい。
結局は教育委員会などに掛け合って解決策を考えるということになった。
また、彼らは対策案として、その体育教師を僕と合わせないようにするための方法をいろいろ考えてくれていた。違う階段を使うとか、体育の授業を別のひとにしてもらうとか。
話の中で、教頭先生は僕の心境にもしきりに配慮してくれて具体的な解決策を提示してくれていた。
意見を出すときも常に僕の心境に寄り添っていてくれて、この人は信じてみてもいいかもしれないと感じた。
さすがは若い年で教頭になるだけあるなと思った。
この人に抱いたイメージは犬だ。ダルメシアン。
仕事はきっちりこなすし、誠実さがある感じ。
その後も話が進んだが、しかし、僕には途中から記憶がない。
話の中で、その体育教師をやめさせることはできないと知ったからだ。
その教師はクラスを持っているため、たとえ教育委員会が動いても辞職は難しいらしい。
彼らは、僕と体育教師をあわせないようにいろいろ考えてくれていたが、同じ学校にいる限りどうしても顔を合わせることになる。
そのときの僕は、もうその体育教師の顔を見ることすら苦痛だと感じていた。
顔を合わせる可能性が少しでもあるんだったら、耐えられないと。
それは、がんばってどうにかなる問題だとは思えなかった。
なので僕が学校に通うのは無理だということがわかってしまった。
その瞬間、どうでもよくなった。
僕はこれまで真面目に生きてきたつもりだし、そんなに罰を与えられるような悪いことはしていないはずだ。
その教師にはお咎めなしだし、他の生徒は僕がいなくなっても今までと変わらず過ごすだろう。
なんで僕ばかりがこんな苦しまなきゃいけないんだろうか。
誰か、教えてくれないかな。
僕に原因があるなら治すからさ。
帰り際、副校長が僕に向かってこう言った。
「けいとくんもさ、大人のやり方を覚えなよ。今回は勉強になったと思ってまたがんばろう」
僕は霧が晴れたような、しかしどこか無理やり作ったような笑顔を浮かべて
「はい」と返事をした。
大人のやり方?
そうか、わかった。「自分の心を押し殺して理不尽に耐えること」が”大人のやり方”なのか。
社会に出たら、この心の痛みに耐えて生きていかなきゃいけないのか。
そういえばよく聞いてたじゃないか。
「社会で生きてくためには、上司からの理不尽に耐えながら、朝から晩まで必死に働く必要がある」って
それは学校という、あるいは社会という世界で生きていくためには必要なことで、この人もそれを乗り越えてきたんだな。
それは、僕が今まで通り学校に通ってもらうための、なにごともなく穏便に済ませるための激励の言葉じゃなくて、
きっと心からのアドバイスなんだろう。
副校長はそうやってその地位までたどり着いたんだろう。
いろいろなものに耐えて、必死に働いて。
そうしてあなたが手に入れたものはなんだろう。
教頭という社会的地位、安定した給料、幸せな孫の顔、それとも安泰な老後?
それは素晴らしいものなんだろう。
でも、たとえそれがなんであれ、僕はそれが欲しいわけじゃない。
それのために生きてるわけじゃない。