ただの一般人が「ファンです」って言われた話
こんにちは、けいとです。
今日は僕の人生観を大きく変えた出来事について書いていこうと思います。
この出来事から僕が学んだことは、「普段自分がとっている何気ない行動でも、相手の人生を変えてしまうかもしれない」ということです。
それに気がついたときから、自分の立ち振舞いを客観視して、それが相手にどんな影響を与えているか、ということを考えるようになりました。
僕の人生観を変えた出来事があったのは、僕が中学3年生のときの夏頃です。
中3の夏といえば受験勉強の大事な時期で、僕も朝から晩まで塾に通っていました。
行きたかった高校がE判定で今のままでは到底届かない、そんな思いから限界まで塾を入れていました。
しかし、そんな本格的に勉強をしたのは僕にとって初めてで、長時間の頭脳労働は僕のメンタルをガリガリと削っていきました。
塾といえば「友達と楽しくやるから乗り切れる」みたいなイメージを持っている人もいるかもしれません。
しかし、僕は塾に友達が一人もいませんでした。
休み時間になって周りがワイワイ楽しそうに話しているなか、僕は一人机に突っ伏して脳の回復に努め、休み時間がすぎるのを待っていました。
「まあ人と話すよりは一人でいたほうが楽だし良いや」と思うと同時に、自分の居場所がないという圧迫感を常に感じていました。
僕の通っていた塾は、個別指導塾で他の人の話し声が聞こえるんですよね。
なので、喋ったことがなくても他の人がどんな人なのか大体わかります。
でも僕は自分を表現することが苦手だったので、僕がどんな人ひとなのか、多くの人はわかっていなかったと思います。
まあ暗い子だなという印象くらいだと思います。
人前で自分を表現できる周りの人は、とてもうらやましいなと思ったのを今でも覚えています。
そんな環境の中で勉強を繰り返していくうちに、僕の精神力は底をつきはじめ、だんだんと自分の感情がなくなっていきました。
ただただ勉強をするマシーンへとなっていき、会話することすらおぼつかなくなるくらいに。
塾ではいろいろな個性的な人がいました。
その中でもひときわ目立っていたのが、イケメンで話が面白くて、明るくて、それでいて落ち着いていて、年上の先生にも物怖じせず話しかけている人でした。
僕は、「あんなふうにコミュ力が高かったら人生楽しそうだな〜」と思いながらその人を見ていました。
その人が持っているパーソナルは、僕の理想にピッタリだったんですよね。
なので、もちろん話したことはないですが、陰ながらにとても尊敬していました。
個別指導なので、その人と近くの席で、同じ先生に教えられるときが度々ありました。
それで、その人が先生と話していて、言うんですよね。
「ペン回しできる人かっこいいですよね〜」とか
「本を読むときに持ちながら読むのかっこいいですよね〜」とか。
その行動は僕がちょうどやっていたことで、
「え、これもしかして俺のこと言ってる?、いやいやそんなわけないか、でもちょうどやってるなんてことある?」と思ったのを覚えています。
状況的に見て、僕のことを言っているのは確かだと思っていました。
でもあんなにかっこいい人が、僕のことを見てくれて、そしてどこが琴線に触れたのか、それがどう考えてもわかりませんでした。
僕は客観的に見ても、先生ともうまくしゃべれないし、友達いないし、休み時間つっぷしてるし。
僕は自信が持てていなかったし、それだけ証拠が揃っていても、彼が僕のことを言ってるとは、とても信じられませんでした。
ある時、その日の最後の授業が終わって、
僕は「疲れた〜」と放心状態になっていました。
本当に何も考えられずにどこかふわふわとした心持ちでした。
そこに、彼が来ました。
そして言いました。
「あの、いつも応援してます。ファンです。がんばってください」と。
突然のことだったので、僕はフリーズしてしまいました。
その人と話したことはなかったし、「初対面の相手にこんなすごい表現できる人いるのか。やっぱりこの人はすごいな」とか
「あ、本当に僕のことを言ってくれていたんだ」とか
いや、「もしかして夢を見てるんじゃないかとか」
もちろんこんな言葉を言ってもらえることなんか今まで生きてきて一度もなかったので、「どう返せば良いんだ」など色々な考えが頭の中によぎりました。
だけど、疲れ切った僕の脳みそでは、答えを導き出すことはできませんでした。
そして、何秒たったか、僕にとっては永遠の時間でしたがフリーズしていると
彼が言いました。
「無視、ですか、、、」と。
そしてまもなく彼は立ち去っていきました。
「いや違うんだ。待ってくれ。」
今すぐにでも追いかけてそう言いたかったですが、僕はその日一言も喋っていなかったし、擦り切れた精神は体を動かす司令をうまくだすことができませんでした。
そして結局、その人を追いかけることはできませんでした。
僕が動けるようになったのは、それから数分後でした。
ぼんやりとした頭の中で後悔が渦巻くなか疲れた体を引きずって家まで帰ると、ピークに達した疲労に耐えきれず、すぐに眠りに落ちました。
そして次の日。
僕は何事もなく塾に通っていました。
本当に恐ろしいことですが、勉強によって擦り切れ、感情がなくなった脳では、あの出来事が重要だと認識できていなかったんです。
そしてまた僕は、何事もなかったかのように受験勉強に戻っていきました。
次にその人と会ったのは僕が高校2年生で、変わらず塾に通っていたときです。
その人は塾に通っていたのは中学までで、何かの機会に塾に来ていたときだと思います。
久々に見たその人は、僕の知っている自信に満ち溢れた彼ではなく、どこか自信なさげで、影を帯びている印象をうけました。
それを見た僕は、突然中学三年生のときの出来事を思い出しました。
「この人はいったいどんな気持ちで僕にあんな言葉をかけてくれていたんだろうか。」
僕はとんでもないことをしてしまったことに今更気が付きました。
そして、彼が今暗くなっているのは、もしかしたら僕の影響があるのかもしれない。
そう考えると、「僕の行動が彼の生き方を変えてしまった」かもしれないということに気が付きます。
「自分が普通に生きているだけでも他者とのつながりからは逃れられず、相手の人生を変えてしまうかもしれない」という事実。
これに気がついてからは、自分の振る舞いを考え直さないといけないと思うようになりました。
また、脳のリソースを限界まで使っていると、人間関係に割くリソースがなくなって取り返しのつかないことになるということにも気が付きました。
僕はこの件の影響で、浪人時代に塾や予備校に通わないという選択をしました。
しかし、逆に言えば、人間関係を捨てれば脳のリソースを限界まで使えるということでもあります。
どちらを取るかは場合によるとは思いますが、どちらもいいところ悪いところがあるので使い分けるのが必要なのかもしれないとも思います。
ここまで読んでくださってありがとうございました。